生産性と雇用

菅政権のもとで、一つ注目していることがある。

 

 

「生産性と雇用」のテーマについて、

どう対処していくのか?だ。

 

 

記事によると、

菅政権のブレーンの中に、

「中小企業の統合を進めて、生産性を上げるべきだ」

という主張をする外人が居り、

重用されているようだ。

 

 

その鋭い論説については、

時に私も尊敬することもある方ではあるが、

本論点については同意できない。

 

 

日本の地方や中小企業の現場で大事なのは、

「効率」ではなく、「粗利の総和」だ、

というのが私の考えだからだ。

 

 

もし菅政権が、

このブレーンの進言に従って

効率を優先してしまったらどうなるか?

 

 

それは中小企業を破壊し、雇用を減らし、

ひいては地方のより一層の衰退や、

日本全体の社会制度の崩壊にもつながりかねない。

 

 

そのため、菅政権の判断に、とても注目している。

 

 

どういうことか、説明しよう。

 

 

まず労働生産性とは、

粗利益(売上-原価)/(従業員数×1人当たり勤務時間(年平均))

により算出される値のことである。

 

 

この労働生産性を上げるのは、実は簡単だ。

 

 

分子の「粗利益」はビジネスの話だから難しい。

なら、分母の「従業員」を切ればいい。

 

 

米国の効率が高いのは、

この「従業員をクビにする」ことがごく簡単に、

かつ日常的に行われているからだ。

 

 

また、M&Aや統合で効率を上げる簡単な方法も、

やはりヒトを切ることだ。

米国の会社のように、簡単にリストラしたり、

クビにすることだ。

(ヒトを切れなければ、M&Aの成果は出ない。

 これは、M&Aの世界の常識でもある)

 

 

それを中小企業でやるとどうなるか?

 

 

中小企業の従業員は少ない。

5人を4人にすれば、

(たとえば1割る5を1割る4にすれば)

生産性は0.2から0.25に、

実に25%も、劇的に生産性は改善する。

 

 

10000人の大企業で2000人を切るよりもずっと簡単に、

「効率」という数字は改善するのだ。

 

 

労働生産性を国際標準レベルにするのも、

全国での大リストラを許容し、前提とするなら、

そう難しいことではない。

 

 

だが、それで得られるものは何か?

 

 

効率という数字は改善するが、それだけではないか?

 

 

その裏で、大量の失業者が生まれる。

 

 

中小企業が多い地方では、

労働者は大事な消費者でもある。

 

 

その労働者が大量にクビになれば、

消費が落ち込み、経済が落ち込む。

 

 

税金が減り、いずれ社会制度が破綻する。

 

 

それを、やる理由がどこにあるのか?

 

 

それに、本当にやるなら、

口先で言うだけではなく、法律を変える必要がある。

 

 

第一に、

日本では労働者の権利が強く法律で保護されており、

簡単にクビに出来ない。

「君、今日でクビ」といえば済む米国とは、

法律が違うのだ。

 

 

その法律を変えるには、

労働者保護に関する多くの規制を反故にする必要があるが、

それを国民が望むだろうか?

 

 

法律改正をせずに労働生産性を改善せよというのは、

手足をロープで縛りながら曲芸をせよ、

というのと同じ。

無理かつ矛盾した注文だ。

 

 

法律との間に無理や矛盾がある限り、実現はできない。

 

 

それでも強行するなら、

クビになるのは、おそらく政権の方だろう。

 

 

第二に、

社会保険制度が持たない。

 

 

日本の社会保険制度は、

国民の大多数の長期安定的な雇用を前提に設計されているからだ。

 

 

今ですらもう破綻しかけていて、

政府は雇用を増やしてなんとか費用を減らそう、

持続可能な期間を延命させようと、

65歳までの定年を70歳まで引き上げようとしたりしている。

 

 

それに逆行するかの如く、

ただの数字的な効率向上を目指して

中小企業の統合やリストラを推進すれば、

国民年金や国民皆保険といった、

日本が世界に誇る社会保険制度が破綻する。

(米国の労働生産性が高いのは、

 日本とは比較にならないほど低い社会保険制度

 を前提にしているからともいえる)

 

 

これを強行すれば、

数百年ぶりに日本各地で

「一揆」が起きる事態になるだろう。

 

 

第三に、最も重要なのが、

労働生産性の低さを「問題」と捉えるか、

それとも「共助」と捉えるか、

という国民の価値観の問題である。

 

 

たしかに、

資本主義で再重視される「粗利」を生む効率は、低いだろう。

効率が低いのは、資本主義的に言えば悪いことだ。

貪欲な資本主義を唯一神とするウォール街流の価値観なら、

そうなるだろう。

 

 

だが、それは裏を返せば、

民主主義で最も重視される要素の一つである「雇用」を、

利益よりも重視し、

優先的に保護している証でもある。

日本的な「共助」の価値観だ。

(最近の流行りのSDGs、ESGs、公益、にもつながる価値観だ)

 

 

その日本的価値観の下に、

(そして裏にある低い労働生産性のもとに)

長期的な技術の伝承や、

長期目線の企業文化というものが成り立ち、

日本文化としての「共助」が成り立っている。

(米国のような、常時戦争、奪い合い、

 自分だけ、勝者総取り、ではない社会だ)

 

 

生産性と雇用の問題は、

資本主義と民主主義のどちらを優先するのか、

という問題でもあるのだ。

 

 

わかりやすく言うと、

「儲け」と「生活」、

「カネ」と「ヒト」、

のどちらを優先するかの「価値観」の問題なのだ。

 

 

この価値観は、国によって大きく異なる。

(日本人なら驚くかもしれないが、

 ヒトよりカネの方が大事という人は、

 世界にはびっくりするほど多く存在する)

 

 

歴史的、文化的、社会的、宗教的な背景も多く含むから、

むしろ日本がガラパゴスで、

外国人には理解しがたいところもあるのは仕方ないのかもしれない。

 

 

また、うがった見方をすれば、

この効率を重視させて日本を破綻に追い込めば、

「自分の儲け」を絶対的な価値観とする外資にとっては、

天文学的な「儲け」の機会になる、

という隠された意図もあるのかもしれない。

 

 

バブルの崩壊も、

その後の銀行の苦境も、

その屍肉に群がったハイエナ外資にとっては、

天文学的な儲けの機会になった。

 

 

その時の日本での儲けに味を占めて、

再度貪欲に儲けを求めてきたのだとしても、

不思議はない。

(日本は衰退し始めてはいるが、

 いまだに世界3位の大国なのだ)

 

 

自己利益誘導という側面があるかもしれないというリスクも、

忘れるべきではないだろう。

 

 

資本主義が始まるはるか前から、

日本は国として存在し、

我々の先祖はそこで生活してきた。

 

 

願わくば、

いま暴走している資本主義が滅びた後も、

日本を国として残し、

子や孫の生活を守れるようにしてやりたい。

 

 

最後に、アインシュタインが来日した時に

残した言葉を共有しておきたい。

 

 

この予言に恥じない日本を、世界に残していくために。

 

 

「世界の未来は進むだけ進み、

 その間に幾度か争いは繰り返されて、

 最後の戦いに疲れる時が来る。

   そのとき人類は真の平和を求めて、

 世界の盟主をあげねばならない。

 この世界の盟主なるものは、武力や金力でなく、

 あらゆる国の歴史を抜き越えた、もっとも古く、

 もっとも尊い家柄でなくてはならぬ。

 世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。

 それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。

 われわれは神に感謝する。

 われわれに日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」


(『世界に誇る日本の道徳力』 石川佐智子/著 より引用)