菅首相へ:アトキンソン氏の主張を鵜呑みにしたら、「地方破壊」政策になってしまいます。。。株主は儲かるでしょうが。

先日、ある日本を代表する企業の役員の方との面談で、

こんな質問を受けた。

 

 

「デービッド・アトキンソン氏の

「中小企業は効率が悪い。まとめるべきだ」

という主張について、どう思いますか?」

 

 

私なりの考えをお話ししたところ、

「全くその通りだ。それは、菅首相に伝えるべきことではないですか?」

とのことだった。

 

 

今の私に、菅首相に直接電話して伝えられるようなパイプがあるわけではないので、

そのお役目は役員の方にお願いした。

 

 

だが、デービッド・アトキンソン氏の主張に違和感を覚えている方は、けっこう多いようだ。

実際私も、当機構の協力銀行や協力企業の方々から、最近よく同様の質問を受ける。

(特に、日本のことを真摯に考えている日本人の方からの質問が多い)

 

 

それは、

「ソーシャルビジネスとして、地方企業を転売せず、リストラせず、そのまま未来に残す」

という当機構の方針が、同氏の主張とは対極にあたるため、

意見を聞いてみたいということでもあるだろう。

 

 

同氏の主張は、なるほど元ゴールドマンサックスのトップアナリストらしく、明快だ。

だが、日本人の感覚としては、受け入れがたいという実感を持つ人も多い。

(その違和感の正体がわからないから、気持ち悪いのだろう)

 

 

大企業の役員の方のご参考になるのなら、

皆様の参考にもなるかもしれないので、本日はその話をご紹介したい。

 

 

キーワードは2つある。

①「富」と「利益」の違い

②価値観の違い

だ。

 

 

まず①について。

「富」と「利益」の違いについては、

以前のブログで詳しく書いたが、軽くおさらいしておこう。

 

 

企業が生み出す富は、たとえばPLでは売上総利益に現れる。

売上総利益こそが「富=財の総和」だからである。

 

 

その売上総利益から、下記の「利益」が、

それぞれのステイクホルダーに配分される。

 

 

たとえば、

・人件費=従業員の利益

・家賃=家主の利益

・活動費(交通費、消耗品費)=取引先の利益

・設備投資費=取引先の利益

・金利=銀行(債権者)の利益

・税金=国の利益

・当期純利益=株主の利益

というイメージだ。

 

 

この各者への配分が、各者にとっての「利益」である。

特に、現代資本主義では、「株主の利益」が重要視される。

(たとえば、上場企業の経営陣は「株主の利益」のために行動しなければならない、とされている)

 

 

ここで、多くの地方の中小企業において、

「富」と「株主の利益」の関係はどうなっているのか?

を整理してみよう。

 

 

すると、以下の2つの事実がわかる。

 

 

・中小企業も、多くの「富」を生んでいる。

(そもそも、富を生んでいなければ、その中小企業は潰れている)

 

 

・ただ、「株主利益」については、それほど生んでいない。

 

 

要するに、日本の中小企業では、

「富」と「株主の利益」の間に乖離があることが、非常に多いのだ。

(これは、世界的に見ると、日本特有のガラパゴス的な現象だ)

 

 

これを、「株主の利益」を絶対視する強欲資本主義

(ゴールドマンサックスは、その頂点にいる企業の一社だ)

の価値観に従ってコンサルするとどうなるか?

 

 

中小企業は「株主利益」を生んでいない

⇒だから中小企業は効率が悪い、価値がない

⇒6割以上の中小企業は潰してしまえ、

⇒そして、大規模に集約しよう。株主の利益を生むように。

 

 

・・・こうなってしまうのだ。

 

だが、ちょっとまって。

逆に考えてみてはどうだろう?

 

 

なぜ「富を生んでいるのに、株主の利益」がないのか?

 

 

それは、逆に言うと、

「株主利益を我慢して、他のステイクホルダーに利益を与え、支えている」

ということではないのか?

 

 

たとえば、不況の時には、

株主に1円も配当をせず、株主兼の社長の給料も削って、

それでも従業員には給料を払う、取引先にはきちんと支払いをする、

といったイメージだ。

 

 

いわば、中小企業の株主は、当機構と同じスタンスの、長期株主なのだ。

長い目線で企業を経営し、

時には株主の利益を削ってでも他のステイクホルダーを支え、

そして社会を支え、

それによって長い時の試練を生き延びてきたのである。

 

 

日本人なら、まして中小企業の社長なら、

そんなの当然だと思うだろう。

(私自身、中小企業の創業者としてそう考えているし、実際にやっている)

それが、長期的な信用を築き、長期的なビジネスをすることにつながるからだ。

 

 

だが、この「株主の利益を最優先しない」という考え方は、

世界で見るとガラパゴスの価値観なのだ。

 

 

ここで、②の「価値観」の違いが加わる。

 

 

私も、あるアメリカの大物バンカーに会ったときに、言われたことがある。

「なぜ株主の利益にならない仕事を君はするのだ?

 自分が儲からないなら、他のステイクホルダーのことなんぞ捨てて、

 別の儲かることをするべきなのでは?」

 

 

そう、ここには大きな価値観の違いがあるのだ。

 

 

日本の中小企業では、絶対的な権力を持つ株主が、

「儲けすぎない勇気」を持ち、

長期的な観点から他のステイクホルダーに利益を適切に配分しているからこそ、

株主利益が少ないのだ。

 

 

同氏の主張は、ウォール街の論理で言えば、正しい。

強欲な金融資本主義の主張としても、

「株主の利益」を増やすという点でも、正しい。

そういう点では、さすがトップアナリストだと思う。

 

 

だが、おカネの話だけではないのだ。

「日本人として正しいか?」

「社会において正しいか?」

「子や孫の未来のために正しいか?」

という話なのだ。

(これは、SDGsが世の中に問いを投げかけていることでもある)

 

 

そして、このギャップを、

特に日本人は直感的に感じるから、

違和感を感じているのではないだろうか?

 

 

いわば、日本のことを真摯に考えている方々にとっては、

「そろばん」と「論語」、

「現代資本主義」と「日本人としての価値観」

がぶつかっているのだ。

 

 

「株主の利益」を絶対視し、株主を常に最優先し、

自分だけが生き残り、金持ちになればいいという資本主義に生き、

その価値観に染まっている人には、そもそもぶつかる価値観がない。

(だから、違和感は生じない)

 

 

この日本的な「困ったときはお互い様」「身を切ってでも仲間を助ける」

という価値観も、理解しにくいだろう。

 

 

これは、長い歴史を持ち、

2000年という長い歴史を独立国として生き抜いてきたからこそ生まれる、

日本人独特のガラパゴス的な価値観なのかもしれない。

 

 

私自身も、もし自分がそういう日本社会に育った日本人でなかったら、

(そして、他の世界の価値観を知ることもなかったら)

おそらく理解できなかっただろうということを、容易に想像できる。

 

 

だがこれは、実は今の世の中の大きな流れだ。

 

 

今の世界がようやく「SDGs」とか「多様性」の大切さに気付きだしたのも、

今後の大変動を生き残るための、生物としての本能的な動きなのかもしれない)

 

 

たとえば、生物史的な「多様性」の観点から、

「多くの中小企業をそのまま残すこと」は「多様性」を尊重し、意図的に残すことだ。

 

 

「盛者必衰の理」と、織田信長は表現した。

これは世の原則だ。

 

 

この「盛者必衰の理」を乗り越えるとき、

(まさに今のように資本主義が極大化し、暴走し、大きな苦境陥るとき)

それを乗り越えるために大切なのが、「多様性」なのだ。

 

 

太古の昔、巨大肉食恐竜が(現代における金融資本主義のようなものだ)栄えた時代があった。

だが、その恐竜が幅を利かせ、世の中すべてを支配した王になった時、恐竜は滅びた。

 

 

恐竜が滅びたときに生き残ったのは、小さく、多様な生物だった。

恐竜と距離を置き、恐竜とは違う生き方をしていた生き物、

恐竜のいないところで生きていた生き物が、生き残ったのだ。

(それは、恐竜時代にはつらい道だっただろう)

 

 

しかし、その小さく多様な生物のおかげで、

生物は絶滅を避けられた。

そして、命をつなぎ、次の世代を生み出した。

 

 

長い長い時を経て、再起し、進化を図った。

それが猿人になり、原人になり、やがて人間になって、

今のあなたや私が存在しているのだ。

(多様性には、目先の利益をはるかに超える、大きな利益があったということだ)

 

 

大きく時代が変わるとき、「多様性」は生き残りのカギになる。

 

 

そして、中小企業をそのまま残すことは、

その「多様性」を残すことでもあるのだ。

 

 

その多様性を、資本の論理で壊すとどうなるか?

 

 

たとえば、日本でもアメリカでも、昔は地方に多くの商店街があった。

それを、資本の論理で武装した、大型ショッピングモールが蹂躙した。

(突然、巨大な恐竜が現れたようなものだ)

 

 

モールは、小さな商店をつぶしまくった。

そして、巨大な一か所にまとめ、

効率よく、安く、画一的なモノを売った。

 

 

たしかに、それはそれで一定の効用はあった。

一定の富と、膨大な株主の利益を生んだ。

(ウォルマートを創業したウォルトン家のように、一部の株主には膨大な利益を生んだ)

 

 

だが、いまはどうだろう?

 

 

同じ資本の論理で「株主の利益にならないから」と、

日本でもアメリカでも、

大型ショッピングモールは次々と閉鎖され、あるいは破綻している。

 

 

さて、その時に、その地方の人は生き残れるだろうか?

 

 

昔なら、商店街のうちの1つがつぶれても、他の店は残っていた。

だが、もはや肉屋も、魚屋も、米屋も、雑貨屋も、床屋だって、

すべてモールに吸収され、店はなくなってしまった。

そして、今度はそのモールも廃墟になるのだ。

 

 

その地方の住民は、困るだろう。

雇用の場も、生きるために必要なものを手に入れる店も、

もはや残っていないのだから、当然だ。

 

 

結果、その地方は、衰退するしかなくなるだろう。

(再興するには、過去にモールが生み出した富の、

 実に10倍以上が必要になり、膨大な資源と努力が必要になるだろう)

 

 

これが私が「今のままでは地方破壊政策になってしまう」という意味だ。

 

 

その時に、強欲資本主義の論理に従う株主はどう思うか?

 

 

まったく気にしないだろう。

 

 

「俺は株主として儲かったからそれでいい。

 地方の住民が困ることや、将来の子や孫が住めなくなることなど、

 知ったことではない。

 違法行為をしたわけではないし、それが資本主義というものだ。

 また俺は、別の場所で、別の儲けを探す。」

 

と言うのかもしれない。

 

 

この話の結論は、いきつくところ、

「現代資本主義」と「日本人の価値観」の間で、

折り合いがつく「カオスの淵」に着地するだろう。

 

 

(菅首相のために助言申し上げると、

 前者はカネの話で済むが、

 後者は日本人の民意の反映を通じて首相の地位に大きく影響するだろう。)

 

 

そういった点では、私とデービッド・アトキンソン氏が、

異なる意見を持ち、異なる主張を広くしていくのは、とても良いことだ。

(これも多様性だ。機会があればぜひお会いし、異なる意見から私も学びたいと思う)

 

 

お互いに、自分が正しいと信じる意見を述べ、それぞれの道を進めばいい。

その先に、天と時代の導きがあれば、

いずれ出会い、意見を交わし、そこでよりよい第3の解が出るのかもしれない。

 

 

当機構は、

「ソーシャルビジネスとして、地方企業を転売せず、リストラせず、そのまま未来に残す」

というビジョンを一切変えることなく、事業を残す取組を続ける。

 

 

たとえ、政府の方針が逆に行こうとも、

たとえ一社だけの取組になろうと、

たとえ最後の一人になったとしても、続ける。

(もし協力してもらえるのなら、ありがたい)

 

 

それが、「雇用・経済・安全を、子や孫の未来に残す」ために、必要であるからだ。